漆黒の峠でのエンコ、その顛末[第四章]
'93.04.30 (Fri) Scene 13
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『メグロ整備商会』富永康介氏 の ボクに授けた作戦は、次のようなものである。
◎あなたのクルマのバッテリーは、山本さんがチャージしてくだすったので
ほぼフル充電状態です(計器にて何アンペアだとデータを教えてくれたのは
云うまでもない)。◎ゆうべ、山本さんから連絡頂いてたんで(!感謝)、
中古のバッテリーをフルチャージしておきました。◎この2台のバッテリーを使えば、
私の計算で、各々3時間ずつの6時間、あなたのクルマは、走ることが
できます。明るいうちに東京に、首都高に入れます。◎ただし、ヘッドライトは
容量的にみて点灯不可、エンジンもなるべく止めないように。セルモーターは
多大な電気を喰いますからね。◎ブレーキだって、あんまり踏まずに済ますコト
です。◎メインバッテリーの電圧が 無くなったら、リアに積んだ 2台目の
バッテリーに、ケーブルをつなぎ替えてください。 ◎そして はやめにバッテリー
チャージを受けてください。東名には、サービスエリアが何ヶ所かあるで
しょう、そこのガソリンスタンドでね。◎... ◎... ◎...◎... ◎... etc.
なんとまぁ、一度にいろんなコトを。...ひとごとだと思ってぇ。まったく。
覚えきれやしない。
ふだん仕事で使ってらっしゃる ブースターケーブル( ※注:家庭における
電気の延長コードのようなモノ )を 貸して下さると云う。中古のバッテリー
をリアのシート上に、ゴムバンドで括りつけるのが良いだろう、と結論が出た。
大変なコトになった。 東京は遥か地の果て(と思えた)ましてや 我が家は、
そこから遥か北の彼方(と思えた)、この方法で ほんとうに 帰れるのだろうか。
松阪でもう一泊するも やむなし と覚悟していたボクは、急転直下 "東京
方面への転進作戦" 決定の報に慌てた。松阪牛焼肉が 夢と消えた。"たまぎれ"
チェックのためバラバラになったメーターまわりは、未だ床に転がったままである。
そうと決めたら富永氏は、さっさとメーターを組み上げ、バッテリーをゴム
バンドでグルグルグルと、リアシートに巻き付け始めた。おいおい、ちょっと
待ってくれぇ。
リアに積むったって、ムキ出しである。雨に濡れて"+"と"−"がショート
するんじゃないか、ビショビショと こっちに電気が這って来て 感電しやしないか、
液が漏れて、シートに穴が開くんじゃないか、途中で落っことしゃしないか、
指を指されて笑わられやしないか、...心配は絶えなかった。
「こちらで完全に修理して、とも 思っているんですぅ」と ボク。
「この辺りで ウロウロしてても、仕方ないでしょう」と 富永氏。
冷たい。そんなに厳しくおっしゃらなくても いいだろうに。
そうと決まったら、はやく出発しないと... 東京の手前で暗くなったらどうしよう。
( ちとバラしてしまうと、ぢつは、そうなった。(^^; )
まぁ、そんときは その近所でもう一泊すればいいや、なんて、この時は 呑気を
決め込んでいた。だいぶ度胸がすわってきて、明るいうちに平野部でエンコ
するぶんにゃ、全然こわくないぞぉ、と開き直ってもいた。
あれよあれよと覚悟を決めさせられて、メット、グラブを付け、シートに跨る。
店の前だ。総出のお見送りである。リアシート上のバッテリーがジャマで
乗りにくかった。ここで立ちゴケ( ※注:停まっている状態で オートバイに
跨ったままコケること )は みっともない。 もっとも 結線にそなえ、サイド
カバーも外したままだ。みっともないも へったくれも ない状態だった。
『メグロ整備商会』前を出発したのは。なんだかんだで 11時15分頃だった。
'93.04.30 (Fri) Scene 14
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鳥羽まで小1時間、フェリーが約1時間 待ち時間が最低でも0.5時間、
渥美半島を抜けるのに1時間くらい、 そこから東名まで、どう頑張っても1.5時間...
決死の 省電力走法ダブルバッテリー帰還大作戦 が始まった。
市内は分かりにくいからと、スカイラン氏のご好意の先導で、国道23号南勢
バイパスまで連れていってもらう。ボクは右にスカイライン氏は左に、ホーンを
ピッと鳴らして別れる。いっぱい、いっぱい 頂いた ご好意を、無にする
わけにはゆかぬ。頑張らねば、そう思った。ここからは、またひとり旅だ。
鳥羽のフェリー乗り場前。12時25分の便に乗り込むべく、待合い駐車場、
4番列の先頭で待つ。伊良湖からの船が着き、三々五々 歩きの人やら ツアラー
やら マイカーやらが、ぞろぞろ船腹から出て来て、目の前を通り過ぎたのに、
なかなか乗船のGOが掛からない。ヘンだなぁと思っていると、係員の
オッチャン(失礼)の持つ携帯無線機から、なにやらピーガー聞こえて来る。
エンコした車があるらしい。(^^;
「さいしょにバイク、行かせっから」
船と陸との境目付近で、5-6人の船員たちが後ろに取り付いた乗用車と
すれ違った。車内を見やる。オバアチャンも一緒に家族旅行でも、と云うノリで
旅行に来た人達と、見受けられた。
'93.04.30 (Fri) Scene 15
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フェリーに乗ったら、エンジンは止めざるを得ない。そんな当たり前のことが、
ひとつひとつ気になった。客室のベンチでは、しばらくグデーとしていたが、
子供の喚声がウルサイ。おぉい責任者、なんとかしてくれぃ。少々機嫌が
悪かったりする。気を取り直して、腹ごしらえに "ヤキソバ" と "カッ*ヌー
ドル" を 食べる。 走り出したら食事どころではない。非常事態なのだ。
周囲の人々は怪訝そうだったが、文句あっか。
船が伊良湖へ着く。接岸前なのに、気のはやい乗客がゾロゾロ積載甲板に降りて来る。
出発の準備をしながら、船員がタイダウンベルトを解いてくれるのを待つ。
ふんぬっ と気合を入れて セルモーターのボタンを押す。エンジンに
火が入った よかった。普段なら なんとも思わないのだけれど、この時ばかりは、
今ので どの位電気を消費したのだろう、などと身震いをする。
無意識に、メーターパネルの電圧計に目が行く。幾度となく目を凝らすうち、
電圧計の針は、ほんの少しずつ、しかし確実にゼロへ向かって、
左へ左へと下がってゆく。
空は、小糠雨から本降りになっていた。雨の渥美半島。往路と同じ海寄りの
道を走る。観光バスや4輪車が多く、超スローペースだ。先を急いで追い越しを
かけたいが、ここは自重する。この辺は、海が見えるでもなく、
普段でも単調な気分になるあたり。淡々とオートバイを走らせる。メットのバイザーの
内側に、雨の滴がツツーと流れる。
潮見坂を越え、浜名湖の南端に降りる。新居町を左に北上すると、来た道を
帰るルートだが、ちょっとでも曲がると、遠廻りになるような気がした。
目がすわって、遮眼帯をかけた馬のようだったかもしれない。そのまま直進し、
浜名湖バイパスから国道1号をまっすぐ、浜松に抜けるルートを取った。
この頃は 未だ、富永氏が太陸モーターに伝えてくれた 到着時間(18-19時)に、
間に合うかもしれないと思っていた。
'93.04.30 (Fri) Scene 16
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15時46分、GSにて給油。メインスタンドを立てようとして、体重を足踏みに
乗っけた瞬間、レイン用ブーツカバーがグニュっと滑った。スタンドが元の
位置に跳ね上がり、オートバイは右前に倒れこむ。幸いミラーから柱に触れ、
ショックを吸収する格好となったので、大事には至らなかったが。それにしても、
オートバイが向こう側に倒れてゆくのって、結構恐い。とっさに飛び退いた
店員に、彼の本心を見た。
東名まで どのくらい、と聞くと「浜松西と 浜松があるんですが、どっちに
します」と、彼。「えっと、これまっすぐ行くと?」と、ボク。
「あぁ 浜松です。20分くらいかな。」
このあと天候は急速に回復し、にわかに晴れてきた。浜松市の東南を、大きな
弧を描いて北に向かうバイパスに、陽が射してきた。雨具をどこで脱ごうか考える。
もう何十回見ただろう 電圧計の針は、"11" に相当する目盛りの真上まで
下がって、そこから「じっ」と動かないように見える。トントン と叩くと
ススゥーっと下がっ行ってしまうのではないか、などと、つい悪いほうに考えて
しまう。チャイナシンドロームって映画に、そんなシーンがあったっけ。
16時ちょうど、東名浜松インターに到着。この先は、一気に東京へ通じているんだ。
そう思うと、ちょっと元気が出た。
渋滞や信号機のない高速道を走ることは、乗っているオートバイが満身創痍で
あっても、ほんの僅かの間、電圧計の針を忘れさせるに十分な刺激だった。
'93.04.30 (Fri) Scene 17
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約束の制限時間が、1台目のバッテリーで走れるタイムリミットが、訪れた。
東名に乗って10分と経っていない。 それは まったく突然で、あまりにも
無慈悲だった。トラックが風圧を叩き付け、スポーツカーが唸りを上げる直だ中、
走行車線にて、あのエンコの再現! あぁ〜ヤダっ また味わってしまった。
あの日・あの時・あの場所の・あの感触(笑)。一瞬エンジンが吹けなくなる感じは、
ちょっと ガス欠に似ている。
「どりゅりゅ・どりゅりゅ・どりゅっ ・どりゅっ ・りゅっ ・くすっ =O」
路肩へ寄せて、減速する。やっぱりダメだったか。配線を外し、リアシート上の
非常バッテリーに つなぎ替えて 接続。すかさずエンジンをかける。
そして 即、発進。高速道の路肩に 長居は無用だ。
走り出して、電圧計の針を見る。ギョッ、全然 振れていない! "11" の
ホンの少し上くらいだ。これじゃぁ、1台目がダメになった時の電圧と、殆ど
変わらない。ボクは青くなった。この2台目も、あっと云う間にダメになる
ような気がした。これが落ちたら、路肩を押してゆくしかない。どこまで? ...
そう考えると、緊張で 肩がギュギュと鳴った。胸がつまった。 一番近いサービス
エリアで 充電してもらおう、そう思った。しかし [サービスエリア 2km]の
グリーン標識は、走れど走れど 現われなかった。
高速道路の登り坂は、勾配はそれほどでもないが、相当距離が長い。どこまで
行ったらサービスエリアがあるのか、想像もつかなかった。その前に止まって
しまったら などと、考えたくもない事態が 脳裏をかすめる。心臓がドキンと
鳴った。それがアドレナリンとなって、鼻から漏れた。
漆黒の峠でのエンコ、その顛末[第五章]
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インターチェンジや主要都市への距離を示すグリーンの看板が、何回か現われては
通り過ぎる。標識は、タテに幾つか連ねてある。眼を凝らし、サービス
エリア名が出ていないか その都度 探す。スパナマークの付いた『牧原サービス
エリア』の表示を見出すまでに、どのくらい長い時間 走ったろうか。
減速して、本線から逸れてゆく。ゆるやかな坂を登り切った 左の向こうに、
レストランなどの休憩スペースが見える。真直ぐ進むと、ガソリンスタンドだ。
「いらっしゃいませ〜。こちらにど〜ぞ」
店員の手招きを無視して、手前の修理ドックへと、勝手にオートバイを乗り
入れる。電気系の故障でチャージがダメになってねぇ、こうやって、予備
バッテリーも使って走って来たんですよぉ。と ボク。 ほぉほぉ、それは大変ですね、
なるほど、こうやってねぇ。と云う返事を期待したのだが、
「バッテリーチャージですね。はぁ、これもですか」
唯一、リアシート上のバッテリーの存在に、チラと首を傾げたが、それも一瞬、
チャージャー2台ありますから。急速充電ですね、と確かめると、さっさと
ケーブルをつなげて、よそへ行ってしまう。話し相手にとのアテがはずれて、
手持ちぶさたである。
いままで走って来た土地での土砂降りが嘘のような快晴だ。こちらのほうは
まったく降らなかったらしい。気持ち良く乾燥したアスファルトの上で、雨具を
脱いで畳んだ。すっかり痺れた手首をほぐし、凝った首筋をぐるんと廻す。
缶コーヒーを飲み、タバコを吸い、早く連絡しなきゃしなきゃ と、この日
ずぅっと思っていた電話に、やっと 取り付く余裕ができた。
まずは、宿泊予定の『サンピア倉敷』さん。当日、それもチェックイン
時分でのキャンセルである(申し訳ない)。
つぎに、竜明さん。岡山市に入ったあたりで電話差し上げて、夕食をご一緒
するはずだったのに。
「そのあたりには ○○さんたちがいるから、合流して...」
「バイクは、その辺の修理工場にぶっ込んで...」
「じゃぁ、帰ってから明日、紫野ちゃんと来るんだ」
てきぱき幹事・竜明さんの声が弾んでいる。
「いやぁ 今夜帰れても、ボクは 次の日じゅう、横たわっているでせう」
元気印オジサンライダーも、この時ばかりは ボロボロだった。愛車は ガタ
ガタだった。行かれない言い訳ばかり並べている自分が イヤになる。
そして、我が家に電話。紫野は今日仕事。留守電に コトの次第を吹き込む。
分かりやすく、心配させないように、なんとか帰れるからと締めくくった。
思えば、旅館『大廣』そばの公衆電話から連絡したのは、つい ゆうべのことだ。
なんだか、遥か遠い昔のように感じられた。
手元のレシートに打ち込まれた時刻、17時18分。牧原サービスエリアを出発。
'93.04.30 (Fri) Scene 19
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ご存じの方も多いと思うが、オートバイは、道を走る車両の中では、自転車の
次に小さい。小学生くらいの頃、先生にチョークを投げられるのがコワイか
黒板消しを投げられるのがコワイか、思い出して頂きたい。多分、黒板消し
飛来時のほうが、びっくりして ワっと避ける度合が大仰だろう。
昼間だってぇのに、ライトを灯けて走るオートバイには、それと同んなじ
理屈がある。いわゆる "被視認性" を高めるのである。目立ちたいのではない。
あくまで 安全のためである。
そうでなくてもライトを灯けたいのに、牧原を出て、焼津・静岡・清水、と
東京が近づくにつれ、夕闇が、だんだんと濃くなってゆく。烏が鳴くから帰〜え
ろっ、夕焼けのオレンジを目にしながら、なんとはなしに我が家の明りが
恋しい、あの心境であった。
暗くなる前に 首都高には入れないだろうコトは、時間を逆算して 分かっていた。
我が帰りつく先は、ボクとBMWの母港は いずこなりしや。首都高 芝公園で
降りた そのスグ先の『太陸モータース』か? はたまた、浦和の新居か?
私は、何処へゆくのだろう。
富士インターを通過。
1台のバッテリーで3時間もつ、との前例は、次の行動予定を立てやすくした。
ただし、このデータは、ヘッドライト点灯は計算外だ。ざっとみて、東京
都心まで 120km 弱。2台目の予備バッテリーは アテにならない。ヘッドライトを
灯けないで走るのも、もうガマンの限界だ。とすれば、東名で都心に一番
近いサービスエリア『海老名』にて 再度 電力供給を受け、作戦の最終的遂行を
目指すのが妥当と思われた。
沼津インターを通過。
意を決して ヘッドライトを灯ける。トンネル内は、オレンジ色の照明で
煌煌と明るく、思わず モッタイナイと ライトを消したりして走る。首筋のコリは
とうに玄海灘を過ぎていて、鈍痛が続く。開いている左手で ぐしぐし揉む。
裾野インターを通過。
こともあろうに、霧雨が降って来る。メットのシールドが、泣いているように
滲む。ちっ と舌打ち。本降りになったら、ものの2分で 濡れネズミになって
しまうだろう。道は折りしも、箱根越えに差し掛かり、道路照明は間引かれ、
勾配・カーヴとも きつくなってゆく。
御殿場・大井松田・秦野中井、通過。
箱根の峠は 難所越えだが、東京に近づくにつれ 次第に交通量が増えてゆく。
御殿場付近では、スタンドアロンで淋しい と云う感じだったのが、次第に
前も後ろも車間距離ギリギリでクルマが連なる、と云う状態に なってきた。
厚木インター通過、ここから 三車線に広がる。
海老名サービスエリアまで、アト 5km ほど。もうちょっとだ。
'93.04.30 (Fri) Scene 20
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牧原から海老名サービスエリアまで、おおよそ 170km 。着いたのは
19時ちょっと前だったと思う。手元にある、海老名のガソリンスタンドのレシートは、
2枚に別れていて、それぞれ 19:24、19:38 と ドットインパクトされている。
牧原では2台あった バッテリーチャージャーが、ここでは 1台のみ。30分ぐらい
ずつ、両方のバッテリーを 急速充電してほしい と伝えて、バーのカウンター
風造作の待ち合い室で、時間をつぶす。『メグロ整備商会』富永氏が電話を
してくだすった『太陸モータース』への到着予定時刻は、もう既に過ぎて
しまっていた。急に気持ちが グラついてくる。首都高へ入らずに 用賀で
環8方面に降りれば、そこから我が家へは 約1時間で着けるだろう(いつもなら)。
そうしちゃおうか。
そう考え出すと、それが実行可能なコトと思えてきた。いずれにしても、
太陸さんに 電話くらい ちゃんと入れておかなきゃ。待ちくたびれたのも
手伝って、重い腰を上げる。
「あなたの、ね、その状態では、ね、うちに辿り付くのが、ね、精一杯。ね」
物事を強く断定し説き伏せる如くに、話しながら 読点付近で「ね」を 多用
する方である。その名は 太田政良 氏。知る人ぞ知る BMWオートバイの
日本での最高権威だ。BMWジャパン社長ですら、彼のショップの方角には
足を向けて寝ないと云う。
年寄りに諭される子供の心境で、太田氏のアドバイスを聴く。大きく元気な
お声だこと。 故障の詳細を メグロ 富永氏より 耳にし、3度の飯より好きな
BMWが、満身創痍で、どうやって 東京まで走って来るのか? それを
知りたくて知りたくて仕方がないっ、と云った様子である。
「芝公園降りたら、ね、すぐだから、表は 閉めちゃっているけど、ね、近くで
電話くれれば、ねぇ、ね、2階で 待ってるから、ね」
こりゃ 行くっきゃない。おまけに、ヘッドライトは消して来なさい、と
きたもんだ。そう云ってもらうと、確信犯的 確証・言質を得られて 勇気は出た。
》愛と、冒険と、無点灯。
しかし、道路交通法 "ヘ" の5番 第七項 九条 違反、ならびに その幇助、
のカドで、2人とも逮捕、なんてコトに ならなければよいが。
雨ガッパを着込み、20時すぎ、海老名サービスエリアを 出発。
首都高 芝浦、その先の太陸へ。もうひとっ走り(いつもなら)。
漆黒の峠でのエンコ、その顛末 [第六章]
'93.04.30 (Fri) Scene 21
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待っててあげるから、と云う太田政良氏のコトバに励まされて、ゆらいでた
自分の気持ちが かたまった。
自分のテリトリーに戻って来たと云う安心感が、走りを勇気づけた。
横浜インターで出るクルマが、左車線に列を作っている。きょうはズゥっと
左の走行車線ばかりを走って来たのだが、ここで、追い越し車線にレーン
チェンジして、グイっと加速。道路照明が煌煌と明るい。インター付近によくある
ホテルのケバい照明が横目に入る。前方左には、インターから合流して来る車両が、
こちらへ寄って来ている。すかざず、もう一回右へレーンチェンジ、
こんなにスピード上げて、いいのかしら。
御殿場あたりから続いていた 前も後ろも車間距離ギリギリで クルマが連なる、
と云う流れは、ここへ来て すっかり解消された。 前を塞がれたフラスト
レーションから開放されて、各車一斉に、思い思いに、ハイウェイ上を飛ばしてゆく。
う〜ん これこれ。慣れ親しんだ交通の流れ・動きだ。メチャクチャ
飛ばしているようでいて、みな 実に要領を得た 機敏な動き。その流れに、
ボクも愛車ごとカラダを預けた。 この2日間で いろいろ見たコト、聞いたコト、
話したコト、体感したコト、ありとあらゆる想いが、アタマのなかから一瞬、
消えた。リセットが掛かった感じだった。アタマが軽くなり、脳がスゥーっと
クリアに、なった。
川崎インターの手前に、視野が大きく拡がり、東名道が ゆるやかに
S字のカーヴを描くのを見下ろせる地点が ある。
いつも、ここに来ると、この風景を見ると、
「あぁ、帰って来ちゃったんだな」
と思うのだ。今回はしかし、ちょっと(だいぶ)ニュアンスが違っていた。
「あぁ、還って来られたんだな」
そう思った。
東京バリア。料金を払い、スグ左に停めてレシートをしまう。
いま改めて拡げて見ると、時間の刻印は無い。
'93.04.30 (Fri) Scene 22
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東名から、そのまま 首都高へと進む。どんどん 都心が、大地を伝って、
手繰り寄せられるように 近づいて来る。とうとう 還って来たんだ。ビルの群れの中を、
右に左に うねるように走る。
渋谷を過ぎると、あっと云う間に六本木。そして谷町インターチェンジで右に
分岐し、環状線の外廻りへ。あっけないぐらいスグに、芝公園ランプが見えて
来た。この時ばかりは、2回だけウィンカーを点滅させた。そして、下の道へ
降りる。信号待ち。人が一杯歩いている。店の明りが、瞬いている。あっちでも
こっちでも、音がしている。せわしなく動いている街の気配がする。ああ、
ほんとうに還って来たんだ。
信号が、青に変わる。ギアをローに踏み込み、ヘッドライトを灯ける。もう
いいだろう。街は明るく、道は十分に走りやすかったが、電気の大盤振る舞いだ。
ここでバッテリーが上がるんなら、上がれ。その時は、押して行ってやる。
桜田通りから、慶応大学の前を右折。もうこのあたりだろうと云うところで
公衆電話を見つけ、オートバイを停める。歩道を歩く人や、道を渡る人、
コンビニで買い物する人に、ひとりひとり 皆んなに聞こえるように、大声で、
「私は、これこれ こうやって、長い道のりを 走って来たんです」
そう叫びたかった。
'93.04.30 (Fri) Scene 23
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『太陸モータース』のウィンドの上には、人の背の高さほどもあろうかと云う、
大きなBMWの電光看板が掛かっていた。電話での太田氏の説明は、ビーエムの
マークが出ているからスグ分かると、その一言だけだったのも納得した。
BMWの母港へと戻る、そんなロマンチックな気持ちがした。
やっと着いた。やっと還って来たんだ。遅くなったものだ。
1階の大きなガラス扉から、中の様子が見える。その外に、仁王立ちになった
人の姿が シルエットで浮かび上がる。太田政良 氏 だと 直感した。道の反対側
だったので、先の信号でUターン。直前の 歩道の手前で オートバイを降りる。
押して、店の前まで進む。太田氏と目が合った。照れ臭かった。第一声、
なんと口を開こうかと思った。
「よくまぁ、帰って来たもんだ」
「正直、帰って来れんと、思っとった」
白髪で眼光鋭く光る太田氏は、そう話し始めた。初対面なのに、積もる話しが
ヤマほどあった。堰を切ったように、コトバが口を離れる。威風堂々とした
恰幅の太田氏は、息子の冒険談に耳を傾ける父親のような表情になった。2階
から、奥さんと思われる方が 降りて来る。太田氏の右腕として お店を手伝って
いるご様子。スっと、日本茶を入れてくださる。
「クルマを なかに しまおう」
太田氏の声を合図に、良く片付いたオシャレな整備ドックへと、泥だらけの
我がBMWを押し入れる。これでお開き と思いきや、この'89年型 R100RSを、
まな板 ならぬ ガレージリフトに載せ、奥さんも加わってのBMWオートバイ
談義に、華が咲いた。
片隅で、ドロドロになった雨ガッパを脱ぎ、べっとり張り付いた革ツバギを
剥がし、スニーカーとジーンズに着替える。その間も、話しの途切れるコトが
なかった。今回の旅のこと、故障のいきさつ、その原因の推定、...
着いたのが 21時30分頃。時間の過ぎるのを忘れて話し込んでいたが、
ふっと時計を見やると、22時30分を廻っている。
いけないっ、うちに連絡しなきゃ。あわてて話しの腰を折り、電話を拝借。
かけるとスグ、紫野が出た。
「いま、どこ?」
そうだろう 夕べは、三重県の某所でエンコしたけど大丈夫、と云う1-2分の
電話の情報だけ。きょうはと云えば、東名 牧原インター付近を 東進中、
そんな1分程度の留守電でしか、状況を話していない。 心配するしない 以前の
問題だった。状況報告が あまりに不足である。話せば この "顛末記" ほどに
長〜くなる。まっさきに浮かぶ疑問は、まず 居場所だろう。もっとも ボク自身、
何処まで辿り着けるのか、今日どうなるのか、どうするつもりだったのか、
それすら、定かではなかったのだ。つい先程まで。
「港区の三田にある オートバイ屋さん。いまさっき 着いたところ」
と答えると、一瞬 キョトンとした間があく。 話せば長くなる コトの次第を、
かいつまんで説明した。先に寝ててイイよ、と、電話を締めくくる。
'93.04.30 (Fri) Scene 24
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「きちんと直して差し上げるから」
まぁ どこが悪いのか、想像はつくけれども、ね。君も 今日は、疲れている
だろうし、ね。明日、夕方頃にでも、ね。電話をちょうだい。ね。その頃には
だいたい分かっているだろうから。と、太田氏。
後ろ髪をひかれる思いで『太陸モータース』をアトにした時には、23時を
とうに廻っていた。JR田町駅の方角に、一歩一歩、大地を確かめるように歩く。
自分の足で歩くのが、とても久しぶりのように感じられた。カラダ全体が
ポッカリ空洞になり、視神経だけが、外界の様子をつぶさに観察している。
金曜の深夜、東京の繁華街だ。喚声罵声がさんざめく。細い路地のネオン街を
抜けると、目の前がパッと拡がった。片側5車線はあろうかと云う道に
出ていた。その向こうに、駅が見えた。
'93.05.01 (Sat) Scene 25
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赤羽駅で埼京線に乗り換える。終電の1本まえだった。車内は空いていたが、
席には座れない。ボーっとした自分の思考が、カラダからふわっと遊離して
ゆくような錯覚に陥る。神経だけが、異様に研ぎ済まされて 鋭敏だった。
武蔵浦和駅に降り立つ。革ツナギとヘルメットは預かって頂いたが、
リアパニアケースのインナーバックに詰め込んだ荷物が、肩に重かった。
我が家のまえ。鍵を開けて なかに入る。ドアを そぉっと 後ろ手に閉めた。
しんと静まりかえった空気に、気持ちが安らぐ。 キッチンの明りだけ そっと
灯ける。グラスに氷を入れて、ウィスキーを飲んだ。カランと澄んだ音がする。
床が、ゆっくりと、ゆったりと、揺れている。手首には、未だハッキリと、
ボクサーツインエンジンの、その鼓動が、感触として残っていた。そんなこんなを、
ひとつひとつ確かめながら、昨日 そして今日 走って来た風景を、目蓋に
想い浮かべた。そうやって楽しみながら、ウィスキーを飲んだ。床についたのは、
02時を過ぎてからだった。
紫野の目覚まし時計の針は、04時にセットされている。岡山行きに備えて。
布団に吸込まれるように眠りについたボクは、それが鳴ったのを覚えていない。
岡山(FCOMIC5L)の様子を、詳しく楽しく聴いたのは、5/2 夜のコトである。
Thanks for your Kindness
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◎静岡県新居町 GS『湖西』 の 店員さん
◎三重県飯高町 『奥香肌荘』 の 森本さん
◎ 〃 玉城町 GS『Nisseki』 の 店員さん
◎ 〃 飯南町 焼肉屋『冨久呂』 の ご主人&奥さん
◎ 〃 〃 『山本輪店』 の 山本喜信さん
◎ 〃 〃 旅館『大廣』 の おかみさん
◎ 〃 〃 『山本輪店』 の 奥さん
◎ 〃 松阪市 『メグロ整備商会』の 富永泰介さん
◎ 〃 〃 〃 で 出会った スカイラインさん
◎静岡県浜松市 GS『スズキ石油』 の 店員さん
◎東名 牧ノ原 GS『西東石油』 の 皆さん
◎ 〃 海老名 GS『千歳商会』 の 皆さん
◎岡山県倉敷市 『サンピア倉敷』 の フロントさん
◎ 竜明さん
◎東京都港区 『太陸モータース』 の 太田政良さん
◎ 〃 〃 の 奥さん
(時間の流れの順です)
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'89年型 BMW R100RS は、一旦ボクの手をはなれ、太田政良氏 により、
徹底的な集中治療を受けるコトとなりました。今回の旅がキッカケで、
オートバイを通じた 新しいお付き合いが、始まりそうです。 その周辺のコトは、
いずれまた 折りをみて、お話ししたいと思います。
最後になりましたが、...
読んでくだすった方々、ほんとうに有り難うございました。
皆様の ご多幸・ご健勝・ご活躍・ご繁栄、そして なによりも "交通安全" を、
心より お祈り申し上げます。 _o_
[ the end. ]